リモートコントロールの必要 中 坂田さんと僕 |
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メイン・ストリートから一本脇道に逸れ、何となく裏寂れた感のある通りに入ると、いつものアニメショップの看板がうっすら光を放っているのが見えた。ひらひら少女のポスターの下では、見慣れた銀髪の人間が手を振っている。初めて坂田銀時と会ってから3週間が経つが、彼は相変わらず会うたびに僕にはてんでわからない話ばかりをした。過剰に胸が大きい美少女キャラは苦手だとか、それは育っていくのを想像するのが楽しいからだとか、ガリガリよりはムッチリだとか、でも手首足首は細い方が良いとか、ビデオテープを買うお金がないとか、フィギュアの腕がぽっきり折れてしまったとか。僕はただ淡々とした表情で頷く。そしてときおり質問をする。 「どんな人形が好みなんですか」 「人形じゃなくてフィギュアですよ」 彼は曇ったレンズの奥の目を細めて言う。再び僕は頷く。また、彼は僕のことを同志だとも言った。事の発端はやはり、僕が近藤に頼まれた『オルレアンメイデン』のフィギュアだった。あまりファンのいないこのアニメのフィギュアに手を伸ばしている僕を目撃したことで、無情にも彼の同志アンテナが発動してしまったのだった。口惜しいことこのうえない、とおもう。 『オルレアンメイデン』というのは、坂田銀時曰く「知る人ぞ知る」アニメで、世間一般には受けがよろしくなかったらしい。テレビでの放映はもう終わっているし(ここで彼は「打ち切りだったんですよね」と泣きそうになった)、関連グッズだってそんなにたくさんあるわけじゃない。でも、僕は『オルレアンメイデン』はS氏の最高傑作だとおもうんだ。と彼はやはり目を潤ませながら言ったのだ。 近藤によれば、「生産数が少ないから、将来プレミアがつくことを見越して買った」とのこと。その将来のプレミアのせいで、今の僕はおたくに間違われておたくに慕われているんですけど。欲しかった水冷キットは、不本意なフィギュア代や本代に圧迫されて未だ手に入っていない。「S氏は『戦場の乙女たち』の生みの親なんです」と坂田銀時は言った。『戦場の乙女たち』といえば、日本のおたく文化隆盛の原動力とも言われているアニメだ。美少女に興味のない僕でも名前くらいは聞いたことがあるのだから、その人気は相当なものなのだろう。彼は続けて言った。「でもね、S氏はひどいんです」坂田銀時の口癖だ。 「自分が蒔いた種なのに、『オルレアンメイデン』は放ったらかしにしてる。放ったらかしっていうか、嫌いなのかな。うーん、ほら、打ち切りだし。雑誌のコラムのプロフィールを見ても、オルレアンについては一行たりとも書いてないんですよ」 彼はほんとうに悲しそうな顔をしてS氏を責める。その顔を間近にして、実は僕何も知らないんですとは言えないじゃないか。おひとよしの僕は、「ほんとうにそうですよね」と切なげな表情をして答えておいた。僕にはアニメはわからない。でも、坂田銀時が悲しいのなら、僕も悲しいのだ。そうおもうことにした。僕だって食費を削って買ったCPUが一晩で昇天してしまったときには、悲しくって泣きたくなる。というか、泣いた。供養をして、ベランダに墓もつくった。彼にとっての『オルレアンメイデン』とは、きっとそんなものなのだろう。 「こんにちは」僕も軽く手を振り返して、坂田銀時に会釈した。今日の彼は悲しみモードにスイッチが入っているらしい。挨拶するなり突然 土方氏い、と凄い力で腕を掴まれる。見つめる眉と眉の間が異常に近く、死相さえ感じられる彼の顔に、僕はおもわずたじろいだ。怖い。しかし彼に僕の恐怖を悟られてはいけないことはよくわかっている。僕は彼の同志。坂田さんが悲しいことは、僕も悲しいのだ。僕は沈痛の仮面を被って「どうしたんですか」と訊ねた。 「ここ、今月いっぱいで閉まっちゃうみたいなんです」彼は一層眉と眉の間を狭くして言った。見ると、店内の至る所に「閉店セール」と書かれた張り紙が貼られている。黄色地に黒の文字が、目に痛かった。「オルレアンびいきだったからかなあ」と坂田さん。やっぱりたいして需要ないし、と頭を掻いてうなだれる彼に、僕は「そんなことないですよ」と声をかけた。うらめしそうに僕を見つめる坂田銀時の瞳には、そんなことあるんだよ、という光がありありと浮かんでいた。どきりとする。 「少なくとも坂田さんには需要があるじゃないですか。それで十分ですよ。てゆか、きっとジャンヌちゃんは喜んでるとおもいますよ。坂田さんみたいなファンがいて」 悲しい目線に耐えきれず僕がそう言うと、坂田銀時の顔がぱっと明るくなった。そして、「やっぱり土方氏はすごいなあ」と少年の様に微笑んだ。 「僕みたいに取り乱さないし、萌えを濫用することもない」坂田銀時は続ける。それは僕が萌えの意味がわからない非アニメおたくだからです。「一歩引いた目線からの的確な判断」それはほんとうに引いているからです。「しかも、僕と意見が合う」それはただ受動的に頷いているだけだからです。心のなかで返事を返す。ただ僕はおひとよしなだけなんです。おそらく渋い顔をしているだろう僕に向かって、坂田銀時はなおも続けた。 「ほんとうに嬉しかったんですよ、土方氏とここで毎日会えることが。もうなくなっちゃいますけど、ここ」彼はまだ微笑んでいた。曇ったレンズ、寝癖でもさもさの銀色の髪、やけに白い歯。出会ったときと全く同じひどい格好。でも、もう得体の知れない男だとはおもわなかった。彼もひとにアニメ以外のつながりを求める、血の流れる人間なのだとおもった。いや、おもってしまった。そんな人間を悲しませるなんて、僕にはできるはずがない。だって僕はおひとよしなのだから。しばらくは同志でいよう、と考えて、胸の中に灯る情けなさを吹き消した。僕は彼の同志。坂田さんが嬉しいことは、僕も嬉しいのだ。僕は彼の台詞を遮って、「坂田さんは、萌えってなんだとおもいますか」という質問を投げかけた。これからも同志でいるためには、萌えと言う言葉を巧く使いこなすことが必須だとおもったのだ。坂田銀時は、少しの間もおかずに「精神的勃起かな」と答えた。恋だとかときめきだとか、何かロマンチックな意味合いではない、驚くほど直接的な言葉。僕がおもわず目を丸くすると、彼は悪びれもせず「だって対義語は萎えでしょう」と付け足した。ああ、そうなんだ。彼が萌えと言った回数だけ、彼は精神的に勃起しているんだ。心の奧で燻っていた情けなさがまた息を吹き返す。「良い言葉でしょう、萌えって」坂田銀時が僕を納得させる様に言った。萌え。二度と口に出すことはないだろうな、とおもった。 |
2006-2-5