春とギプス

「だいじょぶですか、ほんとに」
と聞くと、銀八のうつろな目がしだいに焦点を結んで、くるりと自分のほうを向いた。
「うん」
「そうですか」
よかった、という言葉を飲み込んで、土方は椅子に深く掛けなおす。病室の備品のパイプ椅子が苦しそうにぎしりと鳴いた。だいじょぶかな、この椅子。と土方は軽く椅子の脚を撫でた。

「ほんとひどかったよ、足」
ベッドの上の銀八が、だるそうに吊られた右足を揺らした。バイク事故。複雑骨折。全治三ヶ月。とりあえず手術後2週間の入院だと、臨時ホームルームに来た副担任が言っていた。右足を大仰にくるんでいるギプスの上には、黒マジックで大きく『はやく治せよ 3−Z一同』と書かれていた。あれは近藤さんの字だ。あの中にほんとに足が入っているとは限らんのに、と土方はおもう。ここに寝ている銀八だって、ほんとうにいるかなんてわからんのに。俺だってほんとうにいるかなんてわからんのに。

 やけに遠くで隣の患者の着けている器具の音がしている。ぽこぽこ、と酸素を沸かせる音だ。これが命の音、とおもった。それなら止むときは死ぬとき、という考えが頭の中に唐突に浮かんだ。どうも病室にくると、身にも何にもならないようなことを考えてしまうな、と土方はおもった。音は止まらなかった。

「傷跡は」
と聞く。
「残る」
と銀八。いいんじゃね、自業自得だし。銀八の目が再びうつろになった。
「ほんとにいいんですか」
「いいんだよ」
「なんで」
「ちょっとくらい傷があったほうがかっこいい」
だろ、と銀八が土方のほうを向いて笑った。土方はずん、と両耳が熱くなるのを感じた。銀八の声は良く響くのだ。病室なんていう狭い箱のなかで出されると、空気のふるえがダイレクトに鼓膜に達するのがわかってしまう。皮膚に直に文字を書かれているみたいだ、と土方はおもわず耳たぶをつねった。

「ほんとにいいんだよ、こんくらい」
器用に上半身を起こし、銀八はギプスをこちこちとつつきながら言う。
「なんでそんな、……」
土方はすこしだけ苦い顔をした。
「俺はネガティブだから」
銀八の目が、今度は土方の顔で焦点を結んだ。その艶々した黒目の奧に土方の姿が映っていた。
「ネガティブだからポジティブに生きてる。そんだけの話」
いい、と聞かれて土方は
「はい」
と頷いた。黒目の中の土方も一緒に頷いたから、3人の土方が一斉に頷いたことになった。銀八が瞬きするたびに、2人目と3人目の土方は銀八の瞳のなかにしまわれるけれど。

 彼らが無性に羨ましくなって、土方は
「先生、俺先生のことすきです、たぶん」
と言った。

2007-4-22