トリップモード・セルラーフォン

前からおもってたんだけど、象って俺にとって全く理解しがたいイキモノなんだよな。臭いし不味いっていうのも気になるところだが、やっぱり一番意味がわからないのは鼻だ。あの長い鼻。俺が彼らに根拠のない敵意を抱かざるを得ない理由はきっとそこにあるとおもうんだよな。顔の真ん中に意味のわからないものが付いてるんだよ。そんなヤツと分かり合えって?そりゃあもう丁重にお断りします。そういえば誰かが言ってたなあ。あ、ヅラだったか。あいつ常識がないかわりにこういうことはビビるほど良く知ってるからな。『あの鼻は太古の昔、鰐に引っ張られて伸びたんだ』んな訳あるか。そもそも鰐に鼻を引っ張られるというシチュエーションに疑問を感じる。まてよ。そういえば俺、鰐も見たことねえ。鰐ってどんな生き物だったっけ、て違う、今は象について考えるべき時間なんだ。象、象、象、象は臭い。怖い。嫌だ。わからん。あれ、今は象について考えるべき時間だったっけ。

「きいてますか」

違う。今は象について考えるべき時間じゃない。真昼の喫茶店。ガラス張りの大きな窓。せわしなく行き交う往来の人々。無愛想なウエイトレス。俺の向かいに座る男。ゴキブリでも見るような目で俺を見るのを止めてくれないかな。
「きいてますか」と俺の向かいに座る男。
「きいてるよ」と俺。
「きいてねえ」と再び俺の向かいに座る男。
「きいてるよ」と再び俺。
「きいてねえ」「きいてるよ」「きいてねえ」「きいてるよ」「きいてねえ」「きいてねえ」「きいてね゛」
噛んだ。とても愉快だ。
「きけよ」と俺の向かいに座る男。「何を」「説明をだよ」「何の」「携帯の」そうだ。俺と男の間にぽつりと置かれた黒い機械が目に入る。今は携帯についての説明を聞く時間だった。ていうかな、てめえの説明が長くて理解しがたいからだよ。俺が象なんかについて考えちゃったのは。おめえのせいだよ土方君。責任取れ。ちなみにここで言う責任とは僕に苺パフェを買い与えることです。わかってんの。俺をクリームソーダだけで満足する男だとおもってもらっちゃ困るんだよ。なんでも彼は俺にケイタイデンワというものを与えてくれるらしい。与えられる俺。与えようとしない俺。我ながら良い関係だとおもう。だからそのゴキブリを見るような目を止めてくれよ。君はゴキブリにケイタイを買い与えるおつもりですか。

「1を押せば俺につながるから」



止めてくれた。久しぶりの人間を見る目だ。感極まった俺は意気揚々とつるりとしたケイタイを手に取ってみた。重い。愛の重さより重い。俺の人生より重い。これを常に携帯しろって?重いんだけど。150グラム?十分だよそんなの。重い重い。おーもーいー。あ、またゴキブリを見る目じゃない?文句ばかり言ってると後が厄介なのはわかっているから、ここは我慢して試しに1を押してみる。土方君の右太もものあたりで不穏な音が鳴り出した。戦争か。違う。ケイタイだった。
「ま、そういうことだ」
何一人で納得してるんだろうこの男は。1を押せば俺につながる、ってさっき説明したじゃん。言っとくけど俺、こんなもん持ち歩かねえから。そもそもさ、何のため、これは。自己満なの。そうだろ。自己満だろ。
「土方君」
「何だよ」
「これで銀サンを自分の物にでもしたつもり?」
彼は無言だ。やっぱり。「いらねーよこんなの」ケイタイを突き返す。ヤベ、俺今相当格好良くないか。与えられることに抗う俺。男前すぎる。
「何言ってんの」土方がケイタイを俺に押し返した。「おまえすぐいなくなるじゃねーか。いちいち探さにゃならん方の身になって考えろや」おお、ご立腹のようだ。
「何で俺がいなくなるのが嫌なのよ。結局銀サンをいつも手元に置いときたいだけなんじゃないの」
「違う」
「じゃあ何だよ」
「面倒なんだよ」
「へえ、じゃあもう俺と会うの止めたらどうですか。面倒なんでしょ」ふたりの間に沈黙が投げ出された。土方が俺から目線を逸らす。さてはおめえ俺の右斜め前方にあるクリームソーダを見ているな。やらんぞ。
「誰もおまえが面倒だとは言ってねえ」土方がごくごく小さな声で呟いた。「おまえを探すのが面倒なだけなんだよ」お、ちょっと大きくなった。
「だからさあ、つまりそれが俺を手元に置いときたいってことなんじゃない」
「違うっつってんだろ」
「じゃあ何」堂々巡りってやつだ。もうね、素直に認めちゃったらいいのにね。自己満だろ。自己満。他人の自己満に乗ってやれるほど、俺は寛容な男ではないのです。土方君も悪い男に引っかかっちゃったもんですね。可哀相に。涙が出る。
「おまえがさ」ビリ。土方がストローの袋を破いた。いつもの冷静さはどこへ、と言わんばかりの形相だ。あー、これは殴られるかも。歯を食いしばれ坂田銀時。犯人は自供寸前だ。
「俺と」ビリ。土方がストローの袋を破いた。ストローの袋が可哀相だろ。殴るなら俺を殴りなさい。今なら減刑キャンペーン中だから。
「土方君と何?」「いや、何でもない」なかなか続きを言わない土方に痺れを切らして合いの手を入れてみたが、逆効果だったようだ。失敗した。
「要するにおまえケイタイ持ちたくないだけなんだろ」苦々しげな顔で土方が付け足す。
「違げーよ」俺はお前の自己満に乗るのが嫌なだけだ。うん。ケイタイを持ちたくないのも事実だが。
「そうだろ」「違げーよ」「そうだろ」「違げーよ」「そうだろ」「違げ」「もういい」土方が俺の言葉を遮る。
「わかったよ」またこのひと一人で納得してるよ。何をわかってもらったのか俺には全くわからない。敵を見据えて深呼吸。深呼吸のタイミングまで一緒なんて、僕らはなんて仲が良いんでしょう。
「こうすりゃいいんだろ」土方が普段通りの仏頂面で言う。激しく応戦体制の俺が「どうすりゃいいって?」と聞く前に、土方は黒い携帯電話を俺のクリームソーダにボチャリと突っ込んだ。ケイタイデンワがぼこ、と大きな泡を吐き出す。断末魔だ。店員さあん、今ここで殺人事件がありましたよお。ていうか、俺のクリームソーダをどうしてくれるわけ。飲めねーよこんなの。口付けた時点で感電だよこんなの。なあ?
文句を垂れる俺には目もくれず、土方は席を立ってすたすたと去っていく。こんな時でも会計は土方持ちらしい。伝票が右手にしっかりと握られているのが見えた。俺の恋人は律儀な男です。そして俺は悪い男です。わははは。笑いが止まらない。あ、そうだ。今度は土方君を連れて象を見に行こうかな。

2005-1-08